次期アメリカ副大統領カマラ・ハリス氏のスーツを手掛けた日本人として、今話題のデザイナー、大丸隆平さん。
2020年12月現在、Wikiが存在しないので今回はWiki風に大丸隆平さんの経歴やプロフィール、出身地や学歴をまとめてみました。
大丸さんが高校を中退した理由なども調査、考察していきます。
■大丸隆平のWiki風経歴・プロフィール
次期アメリカ副大統領※カマラ・ハリス氏のスーツを手掛けた日本人、大丸隆平さん。
卓越した技術とセンスを持ち、世界で認められている凄腕のデザイナーであり、パタンナー。
活動の主軸をアメリカに定めているからか、その実力に反し、日本ではあまり有名とは言い難い人物です。
今回は知る人ぞ知る、大丸 隆平さんの経歴とプロフィールについてまずは見ていくことにしましょう。
※大丸さんが手掛けたスーツを着用したカマラ・ハリス氏の特集記事はコチラです。良ければ併せてご覧ください。
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大丸隆平の経歴
1977年、福岡県に生まれる。
教育熱心な両親に育てられ、その甲斐あってか成績は良好。高校は地元の進学校に進学しました。
1993年頃、ところが当時16歳だった大丸さんは突如として高校へ通う事を辞めてしまいます。
この時、大丸さんの説得に20人の親戚が集まったと言います。大丸さんの両親は是が非でも息子を安定した道へと引き戻したかったのでしょう。
しかし、大丸さんは家出という形でこれに回答した。
友人の家を転々としながら書店で何冊もの服造りの本を購入し、見様見真似で服を作る日々。時にはペイントを施してアート作品めいた服も作成したという。
※反抗する大丸さんのイメージ(別に不良だったわけではない)
当時、大丸さん自身もピンク髪で迷彩服を着ており、随分と前衛的な格好だったとか。これは大人に対する反抗の表れであり、本人も「大人はみんな憎んでいた」と振り返っています。
そんな折、大丸さんは洋裁教室を主宰して主婦たちに教えていたおばあちゃんを紹介される。これまで独学だった大丸さんが初めて師を得ることに。
2年間彼女の下で洋裁の基礎を学んだ大丸さんは明確にファッションの道で生きていくことを決意しました。
ちなみに、後で本格的に触れますが入学してから一年で高校は中退しています。そしてその後は露天商でたこ焼きを作っていた時期もあったとか。
1995頃、初めて師と仰いだおばあちゃんに技術を仕込まれた大丸さんは文化服装学院へと入学。
同学院は過去、高田 賢三さんやコシノジュンコさんなど名立たるデザイナーを輩出してきた名門校であり、いわばファッションの道を志す者にとっての登竜門。
同学院は進む科によって卒業までに要する年数が違いますが大丸さんがパタンナー、ファッションデザイナーとして活躍している所から逆算して、彼が選んだのは『アパレルデザイン科(3年制)』だと思われます。
今度は中退されることなく、無事卒業されました。
2000~2007年頃。文化服装学院卒業後、東京で日本を代表するメゾンブランドにパタンナーとして勤務。
その優秀さを買われて、「米国の資産家の奥さんがやっているブランド」にヘッドハンティングされ、アメリカはニューヨークへと渡ります。
しかし渡米後、件のブランドの業績が悪化したことでなんと契約が白紙に。
既に日本の自宅も引き払っていた為、帰る場所もなく、そのままニューヨークで生きていくことを決意。
ブルックリンの安アパートで男四人の共同生活を開始、しばらくしてルームメイトの一人から誘われ、異国初のパタンナーの仕事を得る。
この仕事がきっかけで、彼の腕が業界に広く知られることとなり、すぐさま大量の仕事が舞い込みました。
こうして、大丸さんの実力が世界のトップデザイナーに認められたのです。
2008年、NYで『大丸製作所2』を設立。なぜ“2”というナンバリングなのかというと、大丸さんの父親がファッションとは関係ない工場をやっており、それに続いた己の製作所を2としたから。
2013年、オバマ元大統領の就任式の際、夫人のミシェル・オバマ氏が着たドレスを米高級ブランドと共同で手掛け、話題に。
2015年、自身のブランド『OVERCOAT(オーバーコート)』を立ち上げる。
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『OVERCOAT(オーバーコート)』のInstagram。オンラインショップはコチラ。
ブランドのコンセプトは、「Wearing New York (ニューヨークを着る)」。
同ブランドの服は全て日本人によってつくられており、「MADE IN JAPAN」ではなく、「MADE “BY” JAPAN」に拘っている。
これには日本という場所ではなく、日本人によるクオリティを伝えたいという彼の想いが込められています。
日本のスキルに拘りながらコンセプトが「ニューヨークを着る」なのは世界で勝負する為に敢えて理解しやすいコンセプトを選んだ為。
多人種国家アメリカにあって、未だ日本人はマイノリティ。その中で「MADE BY JAPAN」を届けるには大前提この街を動かす多数派の人々の視点で考える必要があるという事です。
2016年(記事によっては2012年との情報もあるが)、『大丸製作所3』を東京・神宮前に設立。
2020年、2021年以降、女性初のアメリカ副大統領となるカマラ・ハリス氏のスーツを手掛けたことで一躍話題となる。
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上に引用した画像のスーツこそが大丸さんの手掛けた物。
今年8月の民主党大会で着用され、大丸さん曰く「自立した意志のある女性像」をイメージしてデザインしたものだそう。
女性の曲線を活かした細身なジャケットに仕上げており、各メディアでハリス氏のファッションに注目があつまった。
そして同年7月にOVERCOATの展示会を日本で開催。同時に一般客向けにもポップアップを開く。
今年流行の厄介なアレの影響もあり、当初は閑古鳥が鳴くことも覚悟したそうですが結果は予想を大きく裏切り、飛ぶように売れました。
複数回来店してくれたリピーターや一回の買い物で5、6着 70~80万円分買ってくれた人もいたとか。
その背景にあるのは口コミの重要性。
情報が溢れる昨今、ネットの情報などより、友人知人より直接聞いた評判の方がよほど人の足を運ばせる力があるのだそう。
この反響を受け、12月2日から再びポップアップが開催されました。詳しい情報は以下の通り。
日程 2020年12月2日〜8日 / 10日〜13日
場所 ANB Tokyo 4F
住所 東京都港区六本木5-2-4 ANB Tokyo 4F
時間 13:00〜19:00
時期が時期ですし、それぞれの自己判断に任せますが興味があれば少し覗いてみるのもよろしいかと。
大丸隆平のプロフィール
下の画像向かって左の人物が大丸隆平さん。右はファッションジャーナリストとしても活躍される宮田理江さん。
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本名 大丸隆平(おおまる りゅうへい)
出生 1977年
出身 日本・福岡県
学歴 高校中退→文化服装学院卒業
職業 パタンナー、oomaru seisakusho 2(大丸製作所2)/大丸製作所3 代表取締役代表、ファッションデザイナー
■大丸隆平が高校を中退した理由
大丸さんは高校を一年で中退しています。
高校中退の理由を一言で言えば「鳥かごに入れられたような不自由を感じていた」から。
学校の勉強、とりわけ主要科目はインプットばかりでアウトプットを重視する美術や体育はそれらの下位に位置付けられており、軽視されている。
クリエイティブな素養を持ち合わせた大丸さんにとってはこの上ない苦痛だったのでしょう。だからこそ、アウトプットが肯定される場を求めた。
きっかけは祖父が亡くなった事。
大丸さんの実家は家具屋だったのですが祖父の遺影を置く台に利用した物こそ、祖父の初めてつくった勉強机だったのです。
祖父が最初にアウトプットした作品の上に、彼の最後を写した遺影が載っている。大丸さんはモノづくりのすばらしさをここにみた。
当人が亡くなっても、生み出した作品は残り続ける。大丸さんが求めたアウトプットの肯定される場、その究極です。
そして大丸さんは彼の適性に合ったアウトプットの場、ファッションの世界に傾倒していくことになります。
さて、「大丸 隆平が高校を中退した理由」はこれで終わりです。
最後に少しだけクリエイティブの世界に進んだ人間で、同じく中退を経験したクリエイター達を紹介していきましょう。
学校を中退した著名なクリエイター
大丸さんのように高校を、という方は珍しいが学校を中退するクリエイター、アーティストは結構多い。
例えば安倍なつみさんと結婚したミュージカル俳優、山崎育三郎さん。彼は東京音楽大学声楽演奏家コースを中退されています。
「ブルゾンちえみ with B」で一世を風靡した藤原史織さんも島根大学教育学部を中退。
シン・ゴジラやエヴァンゲリオンシリーズで有名な庵野秀明さんも大阪芸術大学芸術学部映像計画学科(現・映像学科)を中退。
……等々、以上からわかるのは中退したとしても自身の進みたい道がはっきり見えているのなら、その後いくらでも成功できるという事。
敷かれたレールを必ず走り切る必要はなく、堅実さに囚われすぎるのも良くない。
とはいえ、それを見習うのは難しいですよね。まあ一応の参考ということで一つ。