広岡浅子は新作朝ドラのモデル!ペンネームは?出身や経歴等調査!

NHKの新作朝ドラマ「あさが来た」

女性実業家「広岡浅子」の生涯がモデル

今回は彼女の生涯について調査した!

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■広岡浅子のプロフィール

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名前   広岡 浅子(ひろおか あさこ

生年月日 1849年10月18日(嘉永2年9月3日)

没年   1919年(大正8年)1月14日)

職業   実業家、教育者、社会運動家

出典   wikipedia

制作が発表されたNHK新作朝ドラ「あさが来た」

広岡 浅子という実在の人物がモデルです。

 

私は朝が苦手なので滅多に朝ドラを観ないのですが

今回記事にするにあたりこの人物にたいして

非常に興味をそそられました。

というのも、彼女は明治を代表する

「女性実業家」でもありその豪気で英明な性格故

「一代の女傑」と称えられた人物だからです。

 

当時は現代程、男女に平等性がなかったことから

上記のように名を残される方は珍しく

そのことからも彼女の強かさが伺えます。

 

ちなみにあの「花子とアン」のモデル

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村岡花子さんの文学者としての活動に

大きな影響を与えた事でも有名だとか。

 

そんな広岡浅子さんの生涯とは

一体どんなものだったのでしょうか?

まずは彼女の出身から見ていきましょう。

 

 

■出身と幼少の苦悩

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彼女は元々京都の商家出身です。幼名は「照」

当時の女性の教養として重要視された

裁縫やら生け花、琴の練習などには興味がなく

学問に強い興味をもっていました。

 

小さなころから既に、後の実業家として

才能の片鱗を覗かせていたという事ですね。

しかし彼女の家では「女性に教育は不要」とされ

家人から読書を禁じられてしまいした。

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自分の関心のある事は禁じられ

その逆の物は強制される。

浅子さんの当時の苦悩の程が窺えます。

自分の身に置き換えて考えるとゾッとします。

 

しかし彼女の人生は結婚を機に

まさにターニングポイントを迎ることに……。

 

 

■実業家として開花する才能

[ad#co-2]浅子さんは17歳で大阪屈指の両替商

加島屋の一族の次男「広岡 信五郎」と結婚。

彼は坊っちゃん育ち故、経営の才能こそ

なかったものの心穏やかな人だったらしく

世が世なら平穏な人生を優雅に送れたでしょう。

 

しかし時は明治維新の真っただ中!

時代がそうなる事を良しとしませんでした。

 

幕末の混乱の中、両替商は続々と倒産。

もちろん加島屋も例外ではなく

その経営に大打撃を受けました。

 

夫は前述の通り頼りにならず

仕方なく浅子さんが実業界へと進出!

そして見事実業家としての才能を開花させ

加島屋を立て直したのです。

 

今も昔も女性は強い!ということですね笑

人のいい夫が仕事のできる妻を支えるという

男女が逆転した構図もお二人のスタイルに

非常に合っていたのでしょう。

今でこそ良く聞く話ですが当時としては

革新的な関係だったのではないでしょうか。

 

そして加島屋は浅子さんの手腕により

銀行・商社・保険業までてがける

大企業へと成長していったのです。

 

 

■日本初の女子大学の設立

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※画像は日本女子大学の創設時代の写真

 中心の白い服を着た女性が浅子さん

 

1896年(明治29年)に梅花女学校の校長だった

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成瀬 仁蔵

彼から彼自身の著書「女子教育論」を手渡される。

幼少の頃学問を禁じられた経験をもつ浅子さんは

同著の女子高等教育機関設立の考えに共感。

金銭の寄付にとどまらず成瀬氏と行動を共にして

財政会の有力者に協力を呼び掛ける等、成瀬氏の

強力な援助者として精力的に活動しました。

 

そして彼女の実家である三井家一門にも

協力を要請し目白台の土地を寄付させる事に成功!

 

ここ、寄付させたと言う所がミソです笑

個人的にこのような強い女性には憧れます。

とはいえ現実ではなかなか厳しいのですけどね汗

 

さて、話を戻しますが……

浅子さんは1901年(明治34年)

日本女子大学校(現 日本女子大学)を

設立まで見事導きました。

 

女性の教育権獲得の大きな立役者として

精力的に活動した浅子さん。

学校設立後も彼女の女子教育への情熱

収まることはなく度々別荘にて勉強会を

開催していた程です。これの参加者には

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こちらも朝ドラ「花子とアン」のモデル

村岡 花子さんも存在し後の彼女に大きな影響を

与えたことは有名な逸話として伝わっています。

 

すべてが急激に移り変わった激動の時代

その波乱の世を生き抜いた浅子さんの持論は

「九転十起(きゅうころびとおおき)」

これは

何でも初めから無理と思うたら、

結果もそのようになります。

無理でも目的を立てて、どないしたら完遂でけるか、

焦点を絞っていくことが大切どす。

出典

という意味が含められているといいます。

ちなみに浅子さんのペンネームは「九転十起生」

おそらく自身の持論から名付けられたのでしょう。

 

自身の信念を曲げず最後まで貫いた

男性顔負けの”強い”女性。

彼女の生涯を描いた朝ドラ「あさが来る」の

放送開始が今から待ち遠しいですね。

 

■まとめ

 

明治の女性実業家「広岡 浅子」さんの記事でした。

彼女がいなければ女性への教育制度も

かなり遅れることになったでしょう。

女性のみならず男性も尊敬すべき人物ですね。

それではまた次回!バイバイ!

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