韓国とのハーフでありピアニストの
清塚 信也さん。彼の学歴や
評価された切っ掛け、更に親友の存在など
気になる噂について調べてみました!
■清塚 信也のプロフィール
今日の表参道は混んでました。
僕は横断歩道を待つより階段登って歩道橋を歩く方が好きです。 pic.twitter.com/T2ZpjnLkQZ— 清塚信也 (@ShinyaKiyozuka) 2015年1月12日
名前 清塚 信也(きよづか しんや)
生年月日 1982年11月13日
出身 日本、東京都
出典 wikipedia
日本人の父に韓国人の母を持つ日韓のハーフ
現在は主にピアニストとして活動していますが
2013年に公開された女優の橋本 愛主演の映画
「さよならドビュッシー」で岬洋介を演じ
俳優としてのデビューも果たしました。
最近では芸能人の才能を審査する番組
「プレバト!!」にもリズム感の審査員として出演。
独特のキャラクターでスタジオを賑わせました。
私は同番組を個人的に気に入っているのですが
彼のユーモアのあるキャラにTVの前で
大いに笑わせられました笑
ピアニストだけではなく俳優として映画に
さらにはバラエティ番組にも進出し
まさに今波にノっている人物です。
その波にどこまで乗り切れるのか?
今後の活躍が気になる人物ですね。
さて、ではどのようにして
今の彼が形成されたのか
まずは彼の学歴から見ていきましょう。
■幼少からの英才教育と挫折の経験
清塚さんは幼少の頃からピアノの
「英才教育」を受けて育ちました。
英才教育はだいたいが3~4歳の頃から
始められると言いますが彼も
おそらくは同じくらいの年齢で
それを受けたのでしょう。
その甲斐あってか
桐朋女子高等学校音楽科(共学)を
なんと主席で卒業!
その後桐朋学園大学の
ソリストディプロマコースに進学。
この時の自分を清塚さんは
「ピアノマシーン」だったと語ります。
そして周囲に心許せる人間がいない事に気づき
真剣にピアノだけに打ち込める場を求め
進学後すぐにロシアへと留学。
これはある種の逃避行動だったのかもしれません。
ロシアでは世界的な名教授
セルゲイ・ドレンスキー氏に師事したといいます。
自分の求めるものがあると意気込んで
留学した清塚さんですが実際に行ってみると
想像とのギャップに苦しめられました。
そして結局は「何も得られなかった」と言います。
日本では一応の成功を収めたものの
海外では彼の実力でも通じなかったのか
それともロシアの風土が合わなかったのか。
清塚さんはボロボロになって帰国し
一度はピアノさえ嫌いになっていました。
ではそのどん底からどうやって
這い上がってきたのでしょうか?
■人との繋がり
二年をロシアで過ごし帰国した頃には
精神的に疲弊しきってしまった清塚さん。
唯一の心の拠り所であったはずのピアノさえ
嫌いになってしまい、さらに友人もいない。
まさにどん底に落ちてしまった状態でした。
しかし以前のツテから少ないながらも
コンサートの依頼が舞い込んできました。
ピアノマシーンと化していた頃は他人との
コミュニケーションを上手く取れず
集団で孤立してしまった清塚さん。
しかし再びピアノ、音楽と向かい合うことで
尊敬する先生達など数々の人との繋がりのおかげで
生きてこられたという事に改めて気づきました。
そして完全に復活した彼は人との繋がりを
大切にするようになり人脈を広げて行く事に。
■きっかけは吹き替え演奏
清塚さんが劇的に飛躍する切っ掛けは
二つの「吹き替え演奏」にあります。
人気ドラマ
「のだめカンタービレ」での吹き替え演奏と
さらに自ら頭を下げて自身を売り込んだ
映画「神童」での吹き替え演奏です。
この二つにより評価され脚光を浴びる事に!
人との繋がりを再認識したことで
新たな道が開けたということですね。
そしてそれは今まで培ってきたきたピアノの
技術があったからこそ実現したものです。
「努力は人を裏切らない」という言葉がありますが
あながち嘘でもないようです。
■チャンミンとは親友?
東方神起のメンバー、チャンミン。
実は清塚さんは彼と親友だと言います。
twitterで度々その仲良しぶりが
話題になっておりファンの皆さんの
秘かな楽しみになっているとか?
清塚さんは韓国とのハーフですしその関係で
チャンミンさんとはウマが合うんでしょうね。
■まとめ
今話題のピアニスト清塚 信也さんの記事でした。
音楽業界のみならず俳優業やバラエティにも
進出し精力的に活躍している今旬の人物。
今後もその活動に注目したいと思います!
それではまた次回!バイバイ!
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