今話題の阿部真奈さんとはどのような人物なのか?
出身高校や現在在籍している大学の情報を調査!
経歴やプロフィールなども調査しました!
■阿部 真奈のプロフィール
本名 阿部 真奈(あべ まな)
生年月日 1994年7月(20)
出身 宮城県女川町
現在ネットで話題の人物、阿部 真奈さん。
彼女は当時高校生ながら宮城県女川町の
臨時災害放送局
「女川さいがいエフエム」で
アナウンサーを勤めていた女性です。
高校生と言えばまだまだ子供です。
にも関わらず電波に自分の声をのせて
不特定多数の人間に届ける、というのは
とても勇気のいる事だったと思います。
少なくとも私には耐えられそうにありません汗
年下ではありますが尊敬すべき
人間の一人だな、と感じました。
さて、話を元に戻しますが阿部さんは
上記の番組を既に引退しています。
しかし同番組をきっかけとして
報道関係に就職する事が
当面の目標となっているようです。
被災地の出身故にマスコミの注目を集め
当時は話したくない事も多く聞かれたと言います。
そういった苦い経験から
「取材される側の気持ちを思いやった報道を」
と考えるようになり現在は理想のアナウンサーを
目指して大学に通っているそうです。
報道する側のモラルが問われる昨今、
彼女の様な志は同業界に置いて非常に貴重。
今後も初心を忘れずに突き進んで欲しいですね。
■高校や大学は?
学生でありながら「女川さいがいエフエム」の
初代高校生アナウンサーをつとめた阿部さん。
彼女の高校はどこだったのでしょうか?
残念ながら高校は公表されていませんが
現在通っている大学は公表されています。
阿部さんは「慶應義塾大学」の
「総合政策学部」に通っているそうです。
現在阿部さんは20歳なのでおそらく
大学2年生かと思われます。
同大学に通ってからのインタビューでは
被災地から上京してきたため
(震災前の)普段通りの生活ができる。
と言う事に幸せを感じたと語っています。
被災現場がどれだけ日常とかけ離れた場所なのか
その過酷さをうかがわせる言葉ですね。
私たちは普段から恵まれすぎているためか
「日常」の尊さと言う物をついつい
見失ってしまいがちです。
その辺り反省しなければいけないと思いました。
“無くしてから初めて気付いた”では
あまりに遅すぎるんですよね。
■経歴
阿部さんは3.11の被害を受けた
宮城県女川町の出身で災害に見舞われた年
彼女はまだ高校1年生でした。
家族と避難中に津波に呑まれ自宅だけではなく
祖父、母、姪の3人を目の前で亡くしました。
家族を目の前で失った阿部さんの悲しみは
一体どれほどのものだったのでしょうか……。
その後避難所生活で祖母と二人で生活してる時に
「女川さいがいエフエム」に誘われました。
元気をなくしていた阿部さんですが
「町の役に立つのなら」という考えから
誘いを承諾し、アナウンサーとしてラジオに参加。
出典:http://www.joqr.co.jp/japan/2013/03/post-1495.html
自分自身被災したという経験と
高校で演劇部だったことから、その度胸を活かし
積極的に町民の意見を拾い上げていきました。
周囲の人は阿部さんの若い力強さに元気づけられ
彼女自身も笑顔と勇気を得られたと言います。
以前は将来の夢を「パティシエ」と
定めていた阿部さんですがこれをきっかけに
報道の道に携わりたいと考えるようになりました。
そして現在アナウンサーを目指し
大学で勉強に励んでいます。
マスコミから受けたインタビューを反面教師に
取材される側の気持ちに寄り添った報道
をできるアナウンサーになるのが
将来の目標だと阿部さんは語ります。
是非とも実現していただきたいですね!
■まとめ
今回は阿部 真奈さんの記事でした。
自らが被災し家族を失ったにも関わらず
すぐに町のためになにか行動に移す、
というのはなかなかできることではありません。
気高いその精神に尊敬の念を抱きます。
私の現住所は震災の被害がほぼない地域
だったので当時の恐怖や絶望をテレビや
ネット越しにしか体感していない人間です。
実際私と同様の人は多くいると思います。
とはいえ「だからこれについて無関心でいる」
とはとても言えないでしょう。この国に住んでいる限り
明日は我が身、実際に被害を受けた彼女たちの
経験からもしかしたらくるかもしれない「その日」に
備えたいな、と今回記事を書くにあたり
強く思いました。
それではまた次回!バイバイ!
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