俳人や実業家など様々な顔を持つ角川春樹さん。
己を神とする神社の所在や俳句の実力も調査!
数々の伝説の裏に俳優E、榎木孝明との確執が?
地震を止めた神通力は真実か?真相に迫る!
■角川 春樹のプロフィール
名前 角川春樹
生年月日 1942年1月8日
出身地 富山県中新川郡水橋町(現富山市)
学歴
●杉並区立杉並第五小学校
●杉並区立天沼中学校
●國學院大學久我山高等学校
著名な親族 父 角川源義
出典 Wikipedia
様々な“伝説”を持ち、実業家、俳人等々多くの
才能に恵まれた傑物。角川 春樹さん。
彼の苗字から察する方も多いとは思いますが
角川さんはあの日本屈指の大企業、
『KADOKAWA』の創業者、角川 源義さんの息子。
KADOKAWAといえば数々のコンテンツを
世に送り出してきたことで有名ですが
個人的にはやはりアニメやラノベ等、所謂
オタクコンテンツの印象が強い会社です。
閑話休題
創業者の息子故、ある意味当然というべきか
大学卒業後、角川さんは順当に角川へ入社。
息子であるため甘やかされるかと思いきや
父が信賞必罰を貫いた為に親の七光りは
全く彼には適用されなかったようです。
つまり、その後数々の企画を打ち立て、
大成功に導いたのは紛れもなく彼の実力。
映画と書籍を同時に売り出す※『角川商法』を
※今でいうメディアミックス
確立させたのも彼で当時は業界の風雲児として
その名をとどろかせていました。
結果、無事角川の後継者となり得、順調に
会社を大きくしていったのですが……。
突如、角川三人娘と言われた
薬師丸ひろ子、原田知世、渡辺典子が
角川に反発する形で相次いで独立。
さらに、会社の経営方針の違いから兼ねてより
対立を深めていた実弟、角川 歴彦さんを
社長権限で解雇してしまったことで彼を
慕う社員の一斉退社、反発を招き、
一気に会社が傾いてしまうことに……。
その後は栄光の道程から一転、角川さんは
クスリの使用で逮捕されてしまいます。
社長は追放した弟が代わりに就任する形となり、
刑務所の中では酷い“いじめ”にも遭われたとか。
しかし保釈後、角川さんは再起し、現在は
角川春樹事務所を立ち上げ、その会長兼社長
の地位に収まっています。
栄光と挫折を経験しながらもそこから再起し
再び経営者として大成なさるとは流石。
常人では成しえない偉業ですらあります。
私も彼の反骨心は見習いたいな、と
強く感じさせられました。
宗教
■神社と俳句について
角川さんの名前を検索すると興味深い
検索候補がいくつが浮上してきます。
特に『宗教』や『神社』は私が民俗学や
神社に大変強い興味を持っている為
惹きつけられました。というわけでまずは
『神社』から詳しく見ていきましょう。
自分を祀る神社、一種の宗教?
はい、見出しの通り。角川さんにまつわる
神社とはずばり、自分自身を祀った神社のこと。
その所在は大泉撮影所で、神格としての己は
角川大明神というそうです。
生きているうちに生前葬や自分の墓を
つくる権力者、資産家は数多くいますが
自分自身を神として祀るのは中々レアですよね笑
角川さんは「俺の魂はスサノオノミコト」と
いう発言を昔されており、己という存在に
とてつもない自信、自負を持っているから
自分の神社を建てるのもその延長なのでしょう。
ある意味己を教祖とする宗教と言えるかも?
また、武田信玄、天武天皇、神武天皇、
ヤマトタケル、さらにチンギス・ハーンの
生まれ変わりこそ自分なのだ、とも
自認されているそうで巷では角川伝説の
一部として語り継がれています。
無論、真偽のほどは不明ですが……。
俳句
生前に父、源義さんが創刊、主宰し、継母の
角川照子さんが父の没後に主宰を引き継いでいた
俳誌「河」の副主宰に1979年に就任。
選者の立場になったことから急激に俳句の世界へ
のめりこんでいく事となり以後精力的に
俳人として活動しく事になった角川さん。
単なる趣味の域を超え、業界でも高い評価を
受ける俳人にまで至りました。
主な俳人としての実績
1982年芸術選奨文部大臣賞および第6回俳人協会新人賞
第35回読売文学賞、第24回蛇笏賞、
第5回山本健吉文学賞第8回加藤郁乎賞、
第7回山本健吉文学賞
出典 Wikipedia
並べてみると壮観ですね。これが経営者を
しながら獲得した功績なのだから驚き。
本当に多才な才を持つ人なんですね。
■俳優Eとの確執と地震
最後はこの二つに関してみていきましょう。
角川さんは数々の逸話を持つ人物。
これまで紹介したような陽の部分の他、
少々暗い部分も存在します。その一つが
『俳優Eとの確執』……。ではまず
こちらについてみていきましょう。
榎本さんとの確執とは
俳優Eこと榎木 孝明さん。彼と角川さんの確執は
今から約28年前の映画『天と地』の撮影が
きっかけで生じてしまいました。
同映画において角川さんは監督を担当。
角川さんは自分にも他人にも厳しい人物で
平成に入ったとはいえ未だ昭和の空気を
色濃く残していた時代。俳優に対する叱咤も
相当厳しい口調で行っていたと言います。
例えば榎本さんに対して
「お前の演技は幼稚園レベル」
「人間やめたらどうだ?」
……等々
今では※考えられない(※芸事では珍しくない?)
厳しい言葉をかけていたと言います。
このためにその日の撮影が中止になることも。
これを受けた榎本さんは当然反発を覚え、
角川さんに対して暴力を検討したり
妄想の中では命すら奪っていたとか……。
当時を振り返って己は傲慢だったと自戒する
榎本さんですが……個人的には毎日
撮影の度、人間性を否定されれば精神的に
追い詰められるのも仕方ないかなと。
しかしこの厳しい叱咤は角川さんの作戦。
榎本さんの傲慢さを打ち砕き、
素のままの彼を表に出そうとした結果だそう。
……はい、あくまで 作 戦 です!笑
その思いが伝わったのかその後二人は和解。
お互いに気の置けない仲を築きました。
多少引っかかりを覚えますが
他人の人間関係など結局のところまた聞き
詳しく知ることはできませんから、
美しい友情を信じたいと思います!
地震を止めた男
さて、最後はちょっと凄い話。
角川さんには数々の伝説があると上の項目で
少し触れましたがその一つに
地震止めた、という逸話があるのです。
実際、角川さんは過去のインタビューで
「自分以外の運命は総て見える」
「会議中の地震を地球に命じて止めた」
「どういう自身がいつ起こるかもわかる」
「それ(地震)を止めることもできる」
と発言されています。……真偽は当然不明。
信じるか信じないかはあなた次第です!