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白井優佐が葵祭で現役CA初斎王代に!葵祭の概要や歴代動画も調査!

追記あり:2021年9月8日

第60代斎王代に選ばれた白井 優佐さん。

斎王代に現役CAが初めて選ばれた事で話題!

気になる祭りの概要と歴代斎王代の動画は?

今話題のニュースを調査してみました!

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白井優佐のプロフィール

白井優佐:葵祭の第60代「斎王代」

「斎王代」は26歳客室乗務員/京都・葵祭のヒロイン|四国新聞社 SHIKOKU NEWS より画像引用

京都三大祭りの一つ、葵祭のヒロイン

第60代斎王代に選ばれた

白井優佐(しらい ゆうさ)さん。

白井さんは京都市左京区出身の日本航空(JAL)の客室乗務員、つまりは現役CA

CA(客室乗務員)が斎王代に選ばれるのは初めての事だと言います。

ちなみに彼女の会見時の動画はこちら↓

斎王代に現役CA~京都・葵祭~|SankeiNews より引用

彼女は26歳(2015年当時)

未だ20代の初々しさを保ちつつも

しっかりとした気品を感じさせる

受け答えからは歴史ある役職に

任命されるだけの十分な素養が窺えます。

個人的にも非常に好印象で彼女ならば必ず最後まで、滞りなく斎王代を務めあげられると確信しました。

白井優佐が東京五輪2020で聖火ランナーに:追記2021年9月8日

私は日本航空の客室乗務員の一員として、普段のフライトにおいてお客様や仲間と心を一つにすることを目標にしています。JALの代表としてオリンピックに関わる皆さまの気持ちをのせた聖火をつなぎ、お客様に日頃の感謝の気持ちをお伝えしたいです。

NHK より引用

白井優佐さんは今年の東京五輪2020において聖火ランナーに選ばれました。

聖火ランナーとしての白井さんは5月25~26日と二日間ある日程の内、26日を担当。出身である京都の岡崎公園で走る予定でした、が26日京都での聖火リレーは中止となり白井さんは当初の予定通りに走ることはできませんでした。なお26日当日は予定を変更し無観客で点火式のみ開催。

大幅に予定を変更し、当初想定された走り姿を見ることはできませんでしたがすべてが無に帰したわけでは無く、コチラで白井さんの聖火ランナー姿を見ることが出来ます。

斎王代から聖火ランナー、普通の人では生涯どちらか一方をやれる確率すら極低確率にもかかわらず、それらをこなした白井さんはきっと前世で相当の徳を積んだのでしょうね。

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白井優佐の参加する葵祭とは?

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画像元

葵祭(あおいまつり、正式には賀茂祭)は、京都市の賀茂御祖神社(下鴨神社)と賀茂別雷神社(上賀茂神社)で、5月15日(陰暦四月の中の酉の日)に行なわれる例祭。石清水八幡宮の南祭に対し北祭ともいう。平安時代、「祭」といえば賀茂祭のことをさした。

京都に伝わる有名な三大祭が

祇園祭、時代祭そして葵祭です。

平安の世から脈々と受け継がれ来た

伝統ある行事でありヒロインである斎王代は

白井さんの代で60代目となります。

 

ここで気になるのは斎王代の決め方

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前述にもあるようにこの役職は祭りのヒロイン

しかも只の祭りではなく京都にその名を轟かす

三大祭りの一つ、葵祭の、です。

ならば某アイドルグループのように

オーディションや面接、果ては総選挙で選ぶのか?と考える方も

中にはいらっしゃるかもしれません。

ところがその実態は全く違っており

ある意味もっと現実的な条件で

選出されているのです。

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その条件とは

数千万円と言われる費用を負担できる事

このような大金を負担できる家に斎王代を

任すと云うなら、自ずと人選は限られます。

たとえば……“京都ゆかり”寺社、文化人、京実業家などの令嬢(主に20代毎年推薦等で選ばれています

事実上莫大な負担ができる家の令嬢に限られる

一部の資産家に役割が集中する事になります。

その為か先代、母も斎王代だったという例は多く

姉妹揃って斎王代であったり、祖母・母・本人と

三代続けて斎王代であるという例も。

まさに華麗なる一族と言えますね。

ちなみに

2014の斎王代・女人列御禊神事(禊の儀)はコチラ↓

葵祭 斎王代・女人列 御禊の儀 2014年|SankeiNews より引用

まるで当時の日本がそのまま再現されたかのように荘厳で厳粛な儀式の風景ですよね。

白井優佐以外の歴代斎王代

白井優佐:葵祭の第60代「斎王代」

「斎王代」は26歳客室乗務員/京都・葵祭のヒロイン|四国新聞社 SHIKOKU NEWS より画像引用

上の画像は今年選ばれた白井さんの画像ですが

ここでは幾人かの歴代斎王代をご紹介します。

 

いくつか特殊な斎王代に絞りますがまずは

1995年(平成7年)の斎王代は

1996

葵祭HPより画像引用

大島 朱美子さん。

しかしこの年の祭りはなんと雨天で中止

そのため翌年も大島さんが再び選ばれました

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一度目は中止になったものの実質

2年続けて斎王代に選ばれたと言う事ですね。

まるで長期政権のようですが

自然現象の前に人は無力ですからね。

ちなみに8年の祭りは中止にはならず

無事に終えられたと言います。

これでまたもし中止になっていれば

2度ある事は……なんて事態に陥っていたかも?

 

2002年(平成14年)には

2002

葵祭HPより画像引用

東京在住の女子大学生

倉斗絢子さんが選ばれました。

京都府外在住者で選ばれるのは史上初です。

とはいえ彼女の生まれは京都だったので

結局京都人がその座を射止める事に。

 

 

最後に2009年(平成21年)の斎王代は

2009

葵祭HPより画像引用

千万紀子さんでした。彼女はなんと

三笠宮崇仁親王の外孫(=大正天皇曾孫)

にあたる女子大学生だったのです。

彼女が選ばれた年は810(弘仁元)年

嵯峨天皇の有智子(うちし)内親王が初めて

「斎王」となってから1200年目の節目であり

葵祭行列保存会の猪熊兼勝会長は

「伝統ある葵祭にふさわしい」

と大変喜んでいたと言います。

成程確かに歴史を越えたロマンを感じます。

白井優佐と葵祭についてまとめ

今回は白井優佐さんと葵祭の記事でした。

簡単にまとめてみましたが

恥ずかしながら私はこの祭りに詳しくなく

分かり辛いところもあったかもしれません。

その場合は遠慮なくコメントでご指摘ください。

(※誹謗中傷の類はおやめください)

それではまた次回!バイバイ!

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