国際的大女優、岸 惠子さん。
彼女の学歴や出身などのプロフィールを調査!
さらに美系と噂のお孫さんの画像もチェック!
仏映画監督イヴ・シャンピとの離婚の真相とは?
■岸 惠子のプロフィール
名前 岸 惠子(きし けいこ)
生年月日 1932年8月11日(82歳)
出生地 日本・神奈川県横浜市
職業 女優、文筆家
ジャンル 映画・テレビドラマ・舞台
活動期間 1951年 –
出典 wikipedia
女優、また文筆家でもある岸 惠子さん。
現在こそ女優として活躍している彼女ですが
元は作家志望の学生。デビューのきっかけは
映画の撮影所を見学した際にスカウトされた事。
始めは断ったものの
「本物の女学生が欲しい」と頼まれ
条件付けながらもそれを了承しました。
その条件とは以下の二つ
①出演は映画一本分だけ
②大学入学までしかやらない
そして1951年に松竹へ入社し
映画「我が家は楽し」にてデビュー。
しかしこの映画がヒットしたことで
そのまま女優デビューする事になったのです。
以降数々の映画やドラマに出演し
今や日本を代表する大女優と成りました。
まさに人に歴史あり、という所でしょうか。
私はまだ20代の若者ですが個人的にも
非常に馴染のある女優さんです。
今回はそう至るまでに辿った道筋や
幾つかの情報をまとめてみました。
■学歴や出身
高校在学中に女優デビューした岸さんですが
松竹に入社した時点では「大学入学まで」
というタイムリミットを設けていました。
ではその後大学へ進学したのでしょうか?
調査してみたところ
神奈川県立横浜平沼高等学校を卒業後
大学に進学したと言う情報はありませんでした。
しかし今にして思えば松竹は始めから
岸さんが提示した条件通りに扱うつもりは
なかったのかもしれませんね。
映画がヒットすればデビューさせ
そうでないなら条件を飲めばいい
程度に考えていたのではないかと。
とはいえ所詮私の予想でしか有りませんし
最終的にデビューを決めたのは岸さんです。
実際彼女はその才能を開花させ
大女優にまで成長しました。
当初の予定であった作家活動も行えていますし
なにはともあれ女優デビューした事は
岸さんにとってプラスだったと言えるでしょう。
さて次は出身ですが岸さんの出身は
神奈川県横浜市神奈川区です。
神奈川といえば鎌倉市にある
鶴岡八幡宮が有名ですね。
鎌倉初代将軍、源 頼朝ゆかりの神社として
全国の八幡社の中でも知名度が高く、
近年では三大八幡宮の一社に入ることもあるとか。
私自身是非一度は行きたい神社ですね。
■離婚の真相とは
生年月日 1921年2月9日
没年月日 1982年11月5日(満61歳没)
出生地 フランス パリ
国籍 フランス
職業 映画監督
配偶者 岸惠子 (1957-1975)
出典 wikipedia
岸さんの元夫、フランス人映画監督の
イヴ・シャンピさん。
岸さんとは1975年に離婚しその後82年に
満61歳で亡くなっています。
離婚の理由を語る前にまずは2人の
馴れ初めから語りたいと思います。
2人が出会ったのは56年。
シャンピさんが監督しこの年に公開された
日仏合作映画「忘れえぬ慕情」
この映画において岸さんが主演を務めたのが
きっかけだったと言います。
そしてシャンピさんから求愛された岸さんは
それを受け入れめでたく結婚。
結婚生活は18年間にも渡り長女ももうけました。
周囲の人間には理想の夫婦に見えたそうです。
しかしでは何故離婚する事になったのか?
それは次第に広がった2人の格差だと言います。
シャンピさんは当時若手の有望株と見られ
業界で注目された才能の持ち主でしたが
次第に才も枯れ落ち70年代には
映画も撮らなくなりました。
一方の岸さんの元には仕事のオファーが
次々と舞い込み一躍スターとなっていきました。
そうして拡大する格差にストレスが溜まり
シャンピさんは愛人の元に走る事に……。
愛人はイタリア人の女性だったらしいですが
ともかくシャンピさんの愛人問題、
そして夫婦間格差により2人は75年の12月に離婚。
娘の親権は岸さんが持つ事になりました。
出会いが運命的だったこともあり
はたから見ている人間にとっては
理想的な夫婦に見えていたのでしょうが
実際はその辺の夫婦と変わら無かったのですね。
■岸さんの家族
岸さんとシャンピさんとの間には
1人娘がいて、名前を
デルフィーヌ=麻衣子・チャンピ、
といいます。また彼女には二人の息子、
つまり岸さんにとっての孫が存在し
それがロスコーくんとジャクソンくん。
コチラが彼らの画像になります↓
それにしても一家そろって美系揃い!
うらやましいですね~。
華麗なる一族、ていう感じがします笑
今後も家族仲睦まじく過ごしていってほしいです。